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浜松中田島下りTS

株式会社ENEOSウイング 東海支店

  • 2024年08月

2024年08月23日(金)

740年前の日本の危機

こんにちはkeeperプロショップ中田島下りの久野でございます。
今回は、鎌倉時代の元寇についてです。
もしかしたら、蒙古襲来(もうこしゅうらい)の呼び方の方が知っている方が多いかもしれません。
この出来事で重要な人物は、鎌倉幕府第8代執権の北条時宗(ほうじょうむねとき:以下宗チャン)元の5代皇帝のフビライ=ハン(以下フビライ君です。
1266年(文永3年)、元から1通の「国書」(国と国の間で交換する手紙)が届きました。
元は、当時中国だけではなく、ユーラシア大陸をほぼ自国にしていましたが、中国の南部の南宋(元の前の王朝だった
宋が元に攻められて南に追いやられて作った国)を制圧できず、日本と友好関係を結び、南宋を倒そうと日本に
国書を送ったのですが、日本側の宗チャン国書の返事を送らず無視!!
それも、5回も無視し続けました。

それには、理由があり、じつは、鎌倉幕府は南宋から招いた外交政策相談役と繋がっていたのです。
そして、5回も無視されたフビライ君超激おこぷんぷん丸になり1274年(文永11年)10月、ついに日本出兵を命令し2万の兵を日本に送り込みます。
元軍が博多湾の北部にあたる息の浜(おきのはま:現在の福岡県福岡市)に来襲
そこに、集まった日本の兵は3千ほどだと言います。
そして、戦闘が始まりますが、日本と元の戦い方には、大きな差があり、まず、日本は、開始の合図として「かぶら矢」と呼ばれる矢を放ってから、「やあやあ、我こそは」などと名乗り、1対1で戦う戦法。元軍は銅鑼(どら:銅で作られたドラム)を打ち鳴らし、集団で1人の武士に襲い掛かるという戦法でした。
さらに、てつはう呼ばれる爆弾や毒矢などで元軍が攻撃してくるため、日本兵は成す術がありません。てつはうは、火薬が爆発すると鉄の破片が飛び散るとても危険な物でした。日本には、まだ爆弾や毒矢がない時代です。
これにより、博多はあっという間に占領されてしまいました。
しかし、元軍は翌日になると日本から撤退します。
元軍が来襲した真の目的は「圧倒的な強さを日本に見せつけて国交を結ぶこと」でした。(文永の役:ぶんえいのえき)

それから、7年後1281年(弘安4年)に元から国交を結ぶため送った使節5人が日本やってきましたが、元と戦う気満々の宗チャン、この5人を処刑してしまいます。
これには、フビライ君頭の血管が切れるくらい、超激おこぷんぷん丸になり、もう仲良くする必要はないとなってしまいます。
さらに、南宋もついに元に倒され、次なる標的は日本、フビライ君7年前は、2万に対し今回は、14万で日本を攻めて
きました。
しかし、2度目の襲来までに宗チャンは、異国警固版役(いこくけいごばんやく:外国からの侵攻を監視する役)を配置し、兵力と防護力を着々と整えていました。
異国警固版役としてまず行なったのは、防衛体制の構築(1から作り直すこと)。九州各地の沿岸に、20kmにも及ぶ高さ2mの防塁(石を積んだ防護構築物)を築きます。さらに西国の武士団が昼夜を問わず海岸沿いを警護。そして、兵力を上げるために、朝廷や有力寺社に従う御家人(幕府の家来)ではない武士も幕府の指揮下に置きました。
そして、戦法を変更。まず、元の物より射程距離の長い弓を使用。宗チャンは、これにより元軍の上陸を阻止しようと考えたのです。さらに、元が得意としていた集団で1人の武士に襲い掛かる戦法を阻止するため、陸で戦うのではなく元寇船に乗り込み攻撃をする作戦に変更。(奇襲攻撃)
そして、宗チャンは元軍の情報収集を始めます。敵がいつ来襲するのかが分かれば、準備も行ないやすいと考え、元から国を追われて来日していた僧侶から元の情報を収集しました。1度目の屈辱をバネに日本の戦法がこのように工夫されました。
これらの進化した戦法や台風(暴風雨)、食糧不足などによって2度目の元軍の来襲は失敗に終わりました。
そして、元軍は撤退していきます。(弘安の役;こうあんのえき)
日本の脅威がなくなったかのように思いますが、まさかのフビライ君3回目の侵攻を計画していましたが、元の支配に反対する中国民衆の反乱やベトナムの抵抗などがあり、侵攻はあきらめるしか選択肢がなくなってしまいました。
さて、今回は元寇についてでしたが、もしフビライ君3回目の侵攻をしてきたら、日本は侵略されていたかもしれませんし、
皆さんご存じのように、このあと鎌倉幕府は、衰退(力を失っていく)していく事となり、
その原因は、この戦いが自国を守る防衛戦であり、御家人に与える褒美(土地)がなかった為、御家人の不満が溜まり、1333年に鎌倉幕府滅亡しました
この時、土地以外の褒美があればもしかしたら、滅亡していなかったかもしれません。
現代の私達も、人生の別れ道に決断することは、多々ありますが、その時に間違った選択しないように、普段から先の事を考えて、後悔をしない生き方をしたいですね。

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