2024年08月20日(火)
平安のぶっ飛びヤンキー
こんにちはkeeperプロショップ中田島下りの久野でございます。

今回は、平安時代にさがな者(荒くれもの:現代のヤンキー)と呼ばれた藤原隆家(ふじわらのたかいえ:以下隆ちゃん)についてです。
隆ちゃんは979年(天元2年)、藤原道隆(ふじわらのみちたか)の四男として誕生し、989年11歳で元服(げんぷく:成人の儀式を行い成人扱いになる事)990年には、侍従(じじゅう:高貴な人の身の回りの世話をする人)になります。
その後も次々と昇進していき、順風満帆の隆ちゃん。
しかし、996年(長徳2年)、隆ちゃんの兄貴、藤原伊周(ふじわらのこれちか)が藤原為光(ふじわらのためみつ)の娘四の君(しのきみ)のもとに通っていました。同じ頃、花山法皇(かざんほうおう:自身の出家発言で隆ちゃんのおじいちゃんに騙されて天皇から降ろされた人)は同じ屋敷に住む三の君(さんのきみ)のもとに通います。兄貴伊周は、花山法皇の姿を見て自分と同じ相手である四の君のもとに通っていると勘違い、弟の隆ちゃんに相談し、そして隆ちゃんは法皇一行を襲撃、花山法皇の衣の袖を弓で射抜いてしまいます。花山法皇は無事だったものの、出家の身でありながら女性のもとに通っていたことが知られることを恐れ、この事件のことを黙っていましたが、噂を聞き付けた道長君が、この騒動を利用して当時、検非違使(けびいし:現在の警察官)の長である藤原実資に密告し、政敵であった隆ちゃんを出雲国(いずものくに:現在の島根県東部)に左遷(させん:今までの地位が落ちる事)します。兄貴伊周も太宰府(だざいふ:現在の福岡県福岡市)に左遷され、以後、道長君から政権を奪うことはできませんでした。なお、隆ちゃんは病気を理由に、出雲国には行かず、但馬国(たじまのくに:現代の兵庫県北部)に留まっています。(長徳の変)
998年(長徳4年)に隆ちゃんは、叔母の、藤原詮子(ふじわらのせんし)による大赦(たいしゃ:国家に吉凶があったときに有罪判決を無効にすること)を受けて、官界に復帰。
1012年(寛弘9年/長和元年)頃に、隆ちゃんは眼病を患い籠居(ろうきょ:家に閉じこもって外にでないこと)。太宰府に名医がいるという噂を聞き、太宰権帥(だざいのごんのそち:太宰府の長官代理)になることを望み。1014年(長和3年)11月には希望が叶い、太宰権帥に任命され善政(民に良い政治をする人)を行いました。
1019年(寛仁3年)には、刀伊の入寇(といのにゅうこう:女真族による襲撃)が起こり、隆ちゃんは総指揮官として活躍します。この年の12月には帰京しますが、昇進は残念ながらありませんでした。
1037年(長元10年/長暦元年)には再び太宰権帥に任ぜられ、1042年(長久3年)まで務めます。そして1044年(長久5年)1月1日、66歳でこの世を去ります。
前に紹介した藤原実資と深くリンクする人、隆ちゃんについて書きましたが、この人、荒々しい性格ではありますけど、
人によく好かれていたみたいで、実資の日記、小右記には隆ちゃんの記述が多く書いてあり、そして実資と性格も似ていて権力者にこびない性格から仲もよかったそうです。
そして、政敵である道長君からも一目置かれた存在だったようです。
やはり、権力者に媚びず自分を貫く人は、いつでもかっこいいですね。
そして、歴史に出てくる乱と変の違いは皆さんわかりますか?
簡単に説明すると、乱は権力者が反乱の敵を倒して政権を維持する事件。(平将門の乱・承久の乱など)
変は、その逆で、権力者が反乱の敵に倒され権力者が変わる事件の事です。(長徳の変・本能寺の変など)
あと、余談ですけど寇とつくのは外国から攻められた時に使うそうです。(刀伊の入寇・元寇)