2024年08月16日(金)
頭も御殿も金ピカおじさん!!
こんにちはkeeperプロショップ中田島下りの久野でございます。
今回は、2回目の登場の金閣寺です。
前回あげたときには、金閣寺の内容だけでしたが、今回は建てた人生について書こうと思います。
とはいっても、建てた人物は皆さんご存じの通り室町幕府3代将軍の足利義満(以下 義ミックン)です。
義ミックンは、1358年(延文3年)に誕生します。
1367年(貞治6年)に父の足利義詮(あしかがよしあきら)が亡くなり義ミックンが11歳で3代将軍(征夷大将軍)になりました。
1381年(永徳元年)に内大臣に就任し、祖父である足利尊氏(あしかがたかうじ:初代将軍)と父である足利義詮を越える官位となりました。
そして、1392年(明徳3年)に祖父の尊氏の時代から南北に天皇のいる時代(南北朝時代)が約60年続いた南北朝時代を終わらせた人物です。
この時に和平交渉をしたのですが、交渉の内容が北朝と南朝が交互に天皇に着くという内容でしたが、
蓋を開けてみると交渉内容が反故(言ったことをなしとする)にされ北朝しか天皇になれなくなってしまいます。
1395年(応永2年)に嫡男(家を継ぐ人)足利義持(あしかがよしもち)に家督を譲り、隠居して出家(お坊さんになる事)しますが、引き続き幕府での実権を握り続けます。さらに、朝廷の最高位である太政大臣(だいじょうだいじん)に昇進したことで、義ミックンは絶大な権威を誇る唯一無二の存在へとなっていったのです。義ミックンはこの称号を利用して、かねて取り組んでいた日明貿易を正式に開始。これにより、義ミックンは莫大な貿易利益を得て、財政面でも強大な力を付けていきます。
そして、1408年(応永15年)皇位簒奪(こういさんだつ:本来皇位継承資格が無い者が天皇の地位に就くこと)達成目前で義ミックン、病に倒れ、51歳でこの世を去りました。

今回は、日明貿易で得た財産で1399年(応永6年)頃に京都北山に新たな邸宅を築きます。この山荘は北山殿(現在の鹿苑寺)といい、のちに金閣の名で呼ばれることとなる舎利殿を完成させます。
人々はその意匠に驚かされたと言われています。北山殿を中心としたこの時代の文化は北山文化と呼ばれます。
今回は、義ミックンの簡単な生涯を書きましたが、いつも歴史を見たり、調べてみると権力を持ち、文化を作る人って疑心暗鬼になり、最終的には、破滅する人が多くいると思います。
ですが、義ミックンは太政大臣と征夷大将軍を兼任してます。
歴史上、生前で太政大臣と征夷大将軍を兼任した人物は4人しかいません。(足利義満・徳川家康・徳川秀忠・徳川家斉の4人)
凄い功績だとは思いますが、人から死んだ魚の目(白い目)で見られ、身を滅ぼしたくないので、歴史から学び何事も、謙虚に生きたいと今回は思いました。