こんにちは、飛騨の里給油所です。
暖かくなってきたかと思ったら、再び雪が降ってきました。コーティングの注文がはいらないので、良い話をみつけましたので紹介してみます
ある野球少年の話
俺は今年地元の高校に入学した。
俺は野球がしたくてこの高校に入った。
もともと俺の家は貧乏でぎりぎりの生活を送っていた。入学して早々、クラスのみんなに貧乏呼ばれをされ、いじめられた。
俺の家は母子家庭で家に帰っても母さんは仕事でいつも居なかった。そして夜遅くに俺が寝ている時に母さんは帰ってきていた。
そんな中、野球部の練習が始まった。同じ学年の仲間はユニホームを買ってそれを着て練習をしていた。
俺は貧乏でユニホームを買えなかった。それなのでジャージで練習を始めた。そこでまたみんなに馬鹿にされた。
そんな日家に帰ったら母さんが仕事が休みで家に居た。
俺は馬鹿にされたことが悔しくて母さんに言った「俺ユニホームが欲しい」すると母さんが「ユニホームなんかなくても練習ができる」
そして俺は腹をたてて「うるせぇくそばばあ」とどなった
その次の日の夜、いつものように遅く帰ってきた母さんが、すぐ寝るのではなく、こそこそ音を立て作業を始めてだした。昨日怒鳴って喧嘩したばかりなので知らないふりをしてねていた
その次の日も、その次の日も母さんは夜のこそこそという音を出して作業をしていた。そして俺は音が聞こえても知らないふりをして寝ていた。
ある日練習試合の話が決まって俺はセカンドで選ばれた。しかしユニホームがないというこで試合に出れなくなってしまった。
練習試合前日の深夜、いつものこそこそとする音に我慢できず俺は母さんに怒鳴った「音がうるせぇ、死ね!」といってしまった
練習試合当日俺はユニホームが無い為試合に出れなかった。試合30分前に警察が学校にきた。俺は呼ばれた。
お母さんが亡くなったと告げられた。
直ぐに病院にかけつけた。
お母さんは目を閉じていた。
顔に白布がかかっていた。動かなかった。
その時に警察から袋を渡された。
ユニホームと手紙が入っていた。手紙を読んだ。こう書いてあった。
今日は練習試合だね。夜こそこそ音をたててごめんなさい。お金が無くて買えないからユニホームを作っていたの。
こんなのでごめんね。練習試合頑張ってね。母より。
俺は叫んで泣いた。泣き崩れた。
医者から聞いた。ガンがあるにもかかわらず、自分の治療もせず治療費も節約して、仕事とストレスをため込んで、息子さんの為に必死に頑張っていたと。
そして夜な夜な俺の為に寝ずにユニホームを作っていたという事も。
そんなことも知らず俺は母さんに「うるせぇ死ね!」といってしまっていた。
母さん本当にごめんなさい。後悔しかない。
いなくなってからでは気持ちを伝えれない感謝の気持ちを伝える事の大切さを感じる話でした。また
閲覧していただき、ありがとうございましたm(__)m