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浜松中田島下りTS

株式会社ENEOSウイング 東海支店

  • 2024年07月

2024年07月30日(火)

千年の都


こんにちはkeeperプロショップ中田島下りの久野でございます。
今回は、コチラをご紹介します。


京都御所です。
平安時代から幕末まで、日本の中心で、天皇が住まわれていた場所です。
794年の平安京遷都から千年の間日本の首都として栄えました。
しかし、御所の位置は、遷都当時より東に移っていて、理由は西側は雨が降ると土地が水に浸かって
しまう為人が暮らせる土地ではなかったみたいです。
ところで、平安時代と言えば、真っ先に出てくる一族が藤原氏です。
その藤原氏は、飛鳥時代の中臣鎌足(藤原鎌足)を祖として、その息子の不比等くんに受け継がれ
その息子4人がそれぞれの分家北家南家京家式家を作っていきます。
その中でも、北家が一番力を持ちその中でも、賢人右府(けんじんうふ)と呼ばれた
藤原実資(ふじわらのさねすけ)という人物を知っている人はあまりいないとは思いますが
とにかく曲がったことが嫌いな人物なんです。

この人が藤原実資です。
957年に藤原北家に生まれましたが、三男だったため、家督は相続はできなかったが、
祖父の養子になり、藤原北家の嫡流小野宮家を相続しました。
この時に、祖父から歴史・文学・朝廷の儀礼・しきたりなどを記した有職故実(ゆうそくこじつ)
を受け継ぎ、朝廷内で群を抜く知識人になりました。
性格も公平な判断をする人物で、歴代天皇からの信頼が厚く、蔵人頭(くろうどのとう)(朝廷の秘書長)
を何度も就任し着実に出世をしていきました。
そして、この当時頭角を現してきたのが、藤原道長ですが、権力を怖がり道長サイドのに付く貴族が
多くいる中実資は中立の立場で居続けます。
あの権力者の道長にでも屈せずに唯一意見の言える人物です。
そして、1019年に、刀伊の入寇(といのにゅうこう)という、外国から攻められる事件が太宰府から
届き、朝廷内は大混乱!!
慌てて、討伐の勅使を送るものの、勅使が届いたころには既に撃退した後、そして太宰府側から
恩賞の話が来た時には、勅使の届く前なので恩賞はなしと渋りましたが、
実資が、「勅使の来る前に撃退して恩賞がないのであれば今後、国の為に戦ってくれるものがいなくなる」
と朝廷側に猛抗議!!
朝廷内も考えを改め恩賞を出したそうです。
1021年に太政大臣左大臣に次ぐ右大臣になり、1046年に90年の生涯を終えました。

この人は、権力者に屈せず、いい所は認め、悪いところは意見するという所
現代人の私達にもなかなかできることではないですし、公正な目を持つ所も
見習うべきだと思いました。

この人が記した小右記(しゅうゆうき)という日記がなければ、平安時代は謎の時代になっていたかもしれません。
こういった、歴史の人物は、あまり知られていない人物が、人生の教訓になることが多々ありますので
皆さんも、気になる人物がいれば調べてみると、人生の糧になることがありますよ‼

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