こんにちはkeeperプロショップ中田島下りの久野でございます。
今回は、コチラをご紹介します。
愛知県新城市にある設楽原歴史資料館です。
ここでは、長篠合戦で使わせていた火縄銃が数多く展示しています。
その展示の数でどれだけの火縄銃が使われていたかや、弾の違いなんかも知ることができます。
ちなみに武田軍も火縄銃を所持していたんですが、弾の材料の鉛がなく、銅銭を溶かして
弾にしていたため、形がいびつで、飛距離の出ない弾で戦っていたのに対し、魔王信長様の
火縄銃の弾は、南蛮貿易で外国の鉛を使用していたため、形もよく飛距離の出る弾です。
そして、屋上の行くと、合戦場を一望することができます。
そして、資料館を出て、一望した合戦場には、魔王信長様、秀吉ちゃん、家康くんが築いた
馬防柵が復元されています。
ここで、1575年(天正3年)にあの教科書に載っている合戦地にいると魔王信長様、秀吉ちゃん、家康くん
連合軍の馬を恐れない安心感を感じることができます。
ちなみに、教科書では、火縄銃3000丁で三段打ちで、武田軍を撃退したと習った人が
大半だと思いますが、少し前にテレビで三段打ちの実験をやったら、2発目を打つ前に敵が馬防柵付近
まできてしまうそうで効果はないみたいです。
でも、一人一人が発射準備を行い、準備できたら撃つというやり方だと絶えず連射ができるそうです。
そんな魔王信長様、秀吉ちゃん、家康くん連合軍相手に武田勝頼坊ちゃん、山縣 昌景(やまがた まさかげ)・馬場 信春 (ばば のぶはる)・内藤 昌豊(ないとう まさとよ)ら歴戦の猛者達が撤退を進言したのにも関わらず、父親の武田信玄先生を超えたい一心でケンカを売り、結果フルボッコにされてしまいました。
そして場所は戻りますが、資料館の前に顔パネルがあり、
そこに、今、話題のマインクラフトのクリーパーが出現しました。
昔の所に行っても、ゲームの中から現れるんですね(笑)